「野湯(のゆ)」とは、自然の中で自噴していて、人の手が加わった商業施設が存在しないような温泉のこと。「日本国内にそんな所が存在するのか?」と思う人もいるかと思うが、実は人知れず湧出している野湯は全国各地にある。この連載では、著者が体験した、手つかずの大自然の中で格別の満足感を味わえる、野湯を紹介してゆきたい。
湧出量日本一を誇る! 野湯界の「東の横綱」
日本百名山のひとつ、安達太良山(あだたらやま)の火口跡からのびる谷の周辺には、多くの源泉が湧き出しており、それらが谷底の川に流れ込んで壮大な野湯地帯となっている。
野湯界の「東の横綱」とも称される、沼尻元湯である。この一帯では毎分1万3400リットルという膨大な量のお湯が湧き出しており、単一の源泉としての湧出量は日本一ともいわれている。
沼尻元湯までのアクセスルートは、沼尻スキー場上部の駐車スペースを起点に、山の尾根につけられた登山道ルートと谷側を歩いていくルートがある。
しかし、谷側ルートは立入禁止で「無断侵入は警察へ通報する」との看板があったので、今回は登山道ルートで行くことに。登山道ルートは最初は急登だが、尾根に出ると前方に安達太良山を眺めながら気持ちよく歩くことができた。
しばらく進むと、左下に木のない広い谷となっている源泉地帯が見えてきた。足元には強い酸性の温泉水が流れる場所でのみ育つチャツボミゴケや、火山地帯など硫黄分の多い場所に生息するイオウゴケなどの珍しい植物も見られる。
沼尻元湯は沢水が混じるため、下へ行くほど湯温は低い傾向にあるが、下流でも随所で温泉が湧き出していた。
川の中の小さな滝壺や瀞(※1)は天然の湯船になっているので、好みの温度の湯だまりを探し歩く。
あちこちにある天然の湯船に気分は上がり、遊園地ではしゃぐ子どものように野湯のハシゴを楽しんだ。百名山を眺めながら入湯できる、野湯のパラダイスである。
ガイドツアーに参加すれば安心安全に訪問が可能
しかし、ここは有毒な硫化水素ガスの発生量が多い危険な場所でもある。1997年には沼尻元湯上部の沼ノ平火口にて、濃霧で危険地帯に迷い込んだ4人の女性グループがガスで全員死亡、という痛ましい事故が起き、それ以来は立入禁止になっていた。
沼ノ平火口は現在も立ち入り禁止だが、2020年からは地元沼尻を活性化させようと、沼尻温泉旅館組合と中ノ沢温泉組合が、安全対策をした「エクストリーム温泉体験ツアー」を企画。ガイドツアーに参加すれば、沼尻元湯は訪問できるようになった。
ツアーは2023年6月1日~11月5日までの期間中、週4回ペースで開催されており、ガイドでは温泉だけでなく、道中の植物についても解説してくれる。
江戸時代からつづく歴史ある温泉
沼尻温泉は、江戸時代の1751年(宝暦元年)に開湯したといわれている。270年以上の歴史と伝統を誇る温泉なのである。
現在、麓に移転して営業している『田村屋旅館』は、1886年(明治19年)の創業。安達太良山の噴火による休業などもあったが、大正時代までこの地で営業しており、現在でもその残骸が残っている。
ほかにも、この一帯には温泉関連の人工物があちこちに存在する。上流には硫黄鉱山の跡地、麓には「中ノ沢・沼尻温泉」へと引かれる送湯設備、元湯周辺には湯の花を採取するための木組みの水路がある。元湯は現在も硫黄の採掘場として機能しており、大量の湯の花が採れるので、他の温泉地にも出荷されているらしい。
まるで温泉をつくる工場のような世界観にわくわくしながら進んでいく。