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兵庫が輩出した「国宝的登山家」加藤文太郎が歩いた道!?  小さな登山家とプチ〝バリ山行〟へ

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  • 馬の背
  • 馬の背(登り)
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  • 文太郎道看板
  • 地図を見るたつきくん

昨年の芥川賞受賞作『バリ山行』(松永K三蔵 著)は、六甲山が主な舞台となっており、登山地図などに書かれていない「バリ」(=バリエーションルート)を歩くというスタイルが紹介されています。
この作品が話題になってから、ちょっとしたバリエーションルートがより注目されるようになってきたような気がします。

登山地図には載っていないけれど、ローカルハイカーに人気のある道というのは、六甲山にはけっこうたくさんあって、今回紹介する「文太郎道」もそんなバリルートのひとつです。

〝国宝的登山家〟と称賛された加藤文太郎も歩いたかも

明石海峡に近い須磨エリアから、六甲山地の東の端・宝塚まで、東西約30㎞の山塊である六甲山。東西両端の間に伸びる主稜線をつないで歩くコースが「六甲全山縦走路」です。毎年、「六甲全山縦走大会」が行われ、多くの人がチャレンジする人気の高い恒例イベントなのですが、その「六甲全山縦走」を最初に行ったのが誰なのかは、じつははっきりしていません。

日付の入った資料が残っているのは、大正14年に「神戸徒歩会」の直木重一郎らの3名パーティによる記録。当時の新聞で華々しく報じられているので、確実な日付がわかっているのですが、ほぼ同じ頃、神戸に住んでいた加藤文太郎も全山縦走を成し遂げているのです。本人や知人が書き残したメモや手紙などから、だいたいの時期は推測できるのですが、具体的な日付の入った文献が残っていないため、どちらが先に全山縦走を成し遂げたのかは謎のままです。

いずれにしても、その後山の周辺が開発され、それにともなって登山路も変わってきているはずです。現在須磨区高倉台から栂尾山までの全山縦走路が通っているあたりは、開発前の面影がまったく残されていない状態で、当時彼らが歩いたのがどこだったのかも謎です。
しかし、栂尾山の山頂部付近から南へ伸びる尾根が古くから歩かれてきたルートではないかと言われており、地元ではそこを「文太郎道」と呼んでいます。

先日、instagramで親子登山の様子を発信しているたかしさん(父)とたつきくん(息子)親子とともに、文太郎道を歩いてきました。
起点は塩屋駅。メジャールートの全山縦走路ではなく、地元民がウラヤマ散歩で通るマイナールートから歩きはじめました。

塩屋からの道

六甲山周辺では、「毎日登山」が盛んで、自宅の近くのウラヤマを散歩感覚で歩く人がたくさんいます。この道でも、ペットボトルひとつを手に歩いている方が何名もいらっしゃいました。

たつきくんは、この春小学一年生になった6歳児。この時点ではまだ幼稚園の年長さんです。しかし、2歳半から父のたかしさんと二人で登山をしていて、昨年「ふるさと兵庫100山」を完登するという快挙を成し遂げた〝小さな登山家〟なんです。地図とコンパスを手にする姿は、立派な山男。

地図を見るたつきくん

最初の旗振山をすぎ、2山目の鉄拐山へ。かつては樹木が生い茂り、景色が見えない残念ピークだったのですが、近年景観伐採が行われ、なかなかのビュースポットです。

鉄拐山

これから登る栂尾山、横尾山、その向こうには高取山や摩耶山、神戸の市街地も一望できます。この先で高倉台の住宅地を通り抜けて、いよいよプチバリエーションの「文太郎道」へ。