丹波篠山と言えば、栗や黒豆、米、蕎麦など、美食の産地として知られていますが、じつは歴史浪漫を秘めた史跡の宝庫でもあります。篠山市郊外にある金山は、明智光秀が築いた山城があった山。歌川広重の浮世絵本『六十余州名所図会』にも描かれている「鬼の架け橋」という奇岩で知られる名勝でもあります。
また、早春の頃には山麓で「スプリングエフェメラル」と呼ばれる可憐な花が咲きます。そこで、その花の時期を狙って行ってみました。
古くから人々が往来した古道をたどって山上へ
山頂へ続く登山道はいくつかあるのですが、この日は鐘ケ坂トンネルの篠山側の入口に近い登山道から登りました。

丹波市の柏原と、篠山市の追入を結ぶのが「鐘ケ坂峠」で、歌川広重が丹波の名所として描いたのが、この峠へ続く道とそそり立つ奇岩、そしてそこにかかる鬼の架け橋の絵です。古くから、この峠は険しい難所として知られていたようです。
明治16(1883)年に「鐘ヶ坂隧道」が作られましたが、レンガ積み工法のトンネルとしては日本最古のものだとか。その後、昭和、平成にそれぞれ新しいトンネルが作られ、ひとつの峠に時代の異なるトンネルが3つもあるという、全国的にも珍しい場所となっています。
しかし、歩いて峠を越える道は、昔からあまり変わっていないんだろうな、と思いながら登りました。
樹林に囲まれた静かな登山道で、1時間少々がんばると山上部へ。西側に目をやると、丹波市側の景色が見えます。

山頂部には特徴的な岩がたくさんあります。「チャート」という固い岩で、恐竜が生きていた時代に海底で放散虫などの遺骸が堆積してできたものだそう。海の底で生まれた岩が、こんな山の上にあるなんて。なんだか不思議です。
山頂部は、不自然に平らな場所があちこちにあり、往時にはいろいろな建物があったのだろうなと思わせる雰囲気。「金山城」について詳しく解説した看板が立てられていました。

織田信長から丹波平定の命を受けた明智光秀が、赤井氏が守る黒井城を攻撃。明智軍有利に展開していた戦況を一変させたのが、八上城主・波多野秀治の裏切りでした。総攻撃中に背後を突かれ、大敗を喫した光秀。命からがら坂本へ帰ったのですが、5年後に丹波侵攻を再開。その際、黒井城と八上城を分断する為に築城したのが、この山に築かれた金山城なのだとか。
そういえば、明智光秀が主人公の大河ドラマ『麒麟がくる』では、黒井城のシーンも、八上城のシーンも、金山城も、まったく出てこなかったのですが(地元民ガッカリ)、放映以来、なんとなく来る人が増えたような気がします。ここに城があったときは、黒井城は北側に、八上城は東側に見えていたはず。

ついに一番の見どころ「鬼の架け橋」へ
城址を過ぎるといよいよ山上部のハイライト、「鬼の架け橋」です。歌川広重の『六十余州名所図絵』では、そそり立つ巨岩の上にアーチ状の石橋がかかっているように描かれているのですが、実際は……。

巨大な一枚岩が、絶妙なバランスで岩の上に乗っています。訪れた人たちは、押してみたり引いてみたり、上に乗ったりと、いろんなことをしますが、もちろんびくともしません。
記録によると、1449年(室町時代)の地震で崩れ落ちた岩が、たまたまこのような形になったそうです。金山城が築かれる100年ほど前のことですね。
さて、山上の景色や見どころを楽しんだら、いよいよもうひとつのお目当て、「スプリングエフェメラル」を探しに行きます。