本記事では、第171回芥川賞受賞作『バリ山行』で描かれている六甲山の登山コースをご紹介します。今回取り上げるのは、西山谷からのルートです。
会社のグループ登山をきっかけに、すっかり登山にハマってしまった主人公の波多さん。その後も六甲山の金鳥山、再度山、摩耶山、さらには北摂の中山連山、箕面の勝尾寺南山などへも足を延ばします。
下記の記事では、同じく『バリ山行』で描かれている他の登山コースについて解説しているので、興味のある方はぜひどうぞ。
次第に「バリ山行」に惹かれていく主人公
〝孤高のソロ登山者〟妻鹿さんが参加した会社のグループ登山で、プチバリエーション を体験したとき、その妻鹿さんが、いつも単独で「バリ山行」をしているという話を聞きます。その後、妻鹿さんのものと思われる登山記録サイトのアカウントを発見。登山道をはずれて、まったくでたらめなルートばかりを歩いている記録が毎週のようにアップされていました。
「バリ山行 再度山から西へ」
「バリ山行 水晶谷から杣谷川」
「バリ山行 蛇谷北山南側アタック」
……筆者は地図を広げて、これらがどんなルートなのか考えてみたのですが、妻鹿さんマニアックすぎ! というか、想像もできません!
<バリエーションルート。バリルート。そんな言い方もするという。通常の登山道でない道を行く。破線ルートと呼ばれる熟練者向きの難易度の高いルートや廃道。そういう道やそこを行くことを指すという。「でも明確な定義は無いんじゃないかなぁ。ちょっと難しいルートでもバリエーションと言っちゃう人もいますし、逆に踏み跡も無くて、ルートにもなっていない沢沿いとか尾根伝いとか、地形図を見て、登れそうなところ、行けそうなところを進んでいく完全ルート無視の山行――」そんなものを含めて指すこともあるという。
「でも、そういうのっていいんですか?」ただでさえ遭難事故の多い登山で、自ら進んで事故を引き起こすようなことをしていいのだろうか。
「あかんよ」頭の上で声がして振り向くと、古い大判のA1図面を抱えた松浦さんが立っていた。>
「登山道じゃないところを歩くなんてダメ」と考える人がいるということについては、「まぁそうだろうな」とは思います。
いわゆる〝ハイカー〟と、〝山ヤ〟の差がそこで、登山道だけを歩く人たちをハイカー、登山道のないところも対象にしているのが〝山ヤ〟と認識しています。
さて、妻鹿さんの「バリ山行」が気になってしかたがない波多さんですが、その頃、会社の経営状況が悪化。土日に出勤しなければならないことも多くなり、振休の平日に一人で山に登ることが多くなっていきます。山を歩いていても、仕事のことが頭から離れず、突然リストラに遭った前の職場のことも思い出して、最初の登山のときのような爽快感を覚えることもなくなっていました。
そんな中、業務で妻鹿さんと関わることになり、社内の不穏な空気などまったく気にせず、職人肌で飄々と仕事をこなす姿に、ほかの人とは違う何かを感じます。
現場からの帰途、クルマの中で「バリに連れて行ってもらえませんか」と切り出します。
「ダメ、ダメ、危ないよ」といったんは断られるのですが、妻鹿さんのおかげで現場のトラブルが解決し、ほっとしたタイミングで、「じゃあ、一回行ってみる?」と、念願のバリ山行に連れて行ってもらえることになりました。
死亡事故も多発する危険な沢へ
妻鹿さんが選んだコースは、
「西山谷から天狗岩、そこから適当に東に進んで芦屋川」というもの。
山の斜面を切り開いて宅地開発が行われた住宅街の一番奥から山上へ突き上げる「西山谷」を登り、その東隣に伸びる「天狗岩南尾根」の上部にある天狗岩まではなんとなく想像がつくので、紹介してみます。(あくまで筆者の想像です)
二人は、駅から山の取り付きまではバスを利用します。駅から歩くと1時間くらいかかるので、筆者もこの山域に入るときはだいだいバス利用になります。
西山谷の取り付きは、以前はもっと踏み跡がしっかりしていたと思うのですが、近年歩く人が少なくなったのか、わかりにくくなってました。
そして、堰堤を超えると、いきなり小滝が現れます。
そのときによるのですが、筆者が遡行したときはまぁまぁの水量で、小さな滝もそれなりの迫力でした。
妻鹿さんと波多さんは、最初の堰堤を超えたあたりで、登山装備を整えます。
ヘルメットを被り、靴にはチェーンスパイクをつけます。
妻鹿さんは、ピッケルとストックのハーフ、「ピックステッキ」というものも持っています。
<河原の岩の間に白い流れが見える。岩に跳び移って流れを渡り、草を踏みながら峪の奥に進む。堰堤を何度も斜面に「巻く」途中、妻鹿さんがほらと指さす方に目印の赤テープが見えた。場所によってはトラロープが垂れている箇所もある。やはり同好の士がいて、ここはそのルートなのだ。>
斜面に貼りついて、手掛かりをつかんで懸垂し、全身を使って登るのは、ふつうの登山とは違ってアスレチックのように感じます。やがて、背丈を超える滝が現れ、どうやって越えるのだろうと思いました。
実際、西山谷は短いながらたくさんの滝が連続します。直登できるものもあり、脇を巻いていくものもあります。
<「いいですね!」滝を越え、私は興奮して妻鹿さんに声を掛けた。
振り向いた妻鹿さんはニコリと笑う。「ここからはもっといいよ」>
次々と現れる滝を登りながら、滝の流れの、自然の精緻な造形に目を奪われます。
こんな流れの中を辿ってこなければ、見ることができない世界にいることに感動するのです。
<「いいですね、妻鹿さん!」嬉しくなって、また私は言った。峪に入ってから私はそれしか言っていない。樹の幹をつかんでやっと登る急斜面、危険な岩場、それでも適切な道具を備え、慎重に行けば私でも進んでいける。もちろんそれは妻鹿さんのアテンドがあるからに違いないのだが。>
<岩の上に立ってあたりを見廻した。流れに沿って峪の奥、妻鹿さんが導く先はあったが、歩みを縛る道というものがない。足元も頭上も前も後ろも定められた向きというものはなく、全周すべてが山だった。>
じつは筆者はこのくだりが大好きです。
「登山道」は、安心だし楽なのですが、人工物であり、都市の延長であるとも言えなくはない。
「道がない」ということは、難易度が高く、リスクが伴うことも少なくないのですが、それこそが「山」なのではないのかと……。