大和国の多武峰(とうのみね)は、飛鳥時代に蘇我氏が権勢をふるっていたとき、中大兄皇子と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で蘇我入鹿を討つという、日本の古代史上最大のクーデター「乙巳(いっし)の変」の最初の舞台です。2人が極秘で入鹿討伐の相談をしたという「談山(かたらいやま)」から、飛鳥の里へと続くトレイルを歩いてみました。
多武峰は、奈良県桜井市の山の中にあります。せっかくなので大阪から、一度乗ってみたかった近鉄特急「ひのとり」で行くことにしました。
ゆったりシートが快適すぎて、うっかり寝入って名古屋まで連れて行かれそうで危なかったです。アカンアカン…。大和八木(やまとやぎ)で各駅停車に乗り換え、桜井からは多武峰・談山(たんざん)神社行きのバスで山中へと入っていきます。
のどかな参道でまずは奈良グルメを堪能
バスを降りると目の前に土産物屋さんがあって、名物の串コンニャクが売られていました。鍋でぐつぐつ煮えていて、湯気と共に美味しそうな匂いが漂い、素通りするのはちょっと無理な感じ。
熱々のコンニャクに、特製のみそだれを塗ってくれます。奈良県は実はコンニャクの産地。参道のあちこちの土産物屋さんで売られています。
最初に登る「談山」は、談山神社の裏手にあるので、神社の中を通り抜けていきます。
鳥居から先は急な階段を登らないといけないのですが、入山受付のすぐ横手に、一服できそうな茶屋がありました。「かたらいの杜」という看板がなんだかすてきな雰囲気。ちょっと寄り道していこうかな。
明るくて暖かい店内には大きなモニターがあって、ドローンによる空撮と思われる四季折々の境内風景が映像で紹介されていました。春の桜、秋の紅葉、冬の雪景色も美しい。季節を変えてまた来たいなぁ。
せっかく奈良に来たので、地元グルメの「にゅうめん」をいただくことに。そうめんを暖かいお出汁でいただくのが「にゅうめん」。奈良県桜井市は、そうめん発祥の地とされていて、「三輪そうめん」の名で知られています。
ほっこりやさしい味のにゅうめんで身体が温まりました。地元産野菜の天ぷらや、小鉢もの、スイーツまで付いて、カロリー補給はバッチリ。さぁ、では登ります! いきなり石段の急登ですけど……がんばろ。
一段登ると、お堂の間に広場があります。ここでは毎年春と秋に「蹴鞠」が行われるそうです。
ちなみに、蘇我氏討伐の腹案を温めていた鎌子が、中大兄に最初に接近したのが蹴鞠の会。鞠を蹴るとき、沓(くつ)を飛ばしてしまった中大兄に、鎌子が拾って手渡しながら、こっそり耳打ちをして……というエピソードがあります。
境内の最上段に建つのが、談山神社のシンボルともいうべき十三重塔。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根がどっしりと格調を感じさせる佇まいで、海外からの観光客がしきりにシャッターを切っていました。
境内の一番上、北西の端から談山への登山道が始まります。参拝者で賑わう観光地から、急に深い山に入る感じが面白いです。
急な山道を登ること約10分。賑やかだった神社の境内とは打って変わって、人の気配もほとんどなく、深い森に囲まれた中にひっそりと山頂がありました。このトレイルの最初のピーク「談山(かたらいやま)」です。山頂には「御相談所」と書かれた碑が建てられています。
クーデターの相談をしたから「談山」になったそうなんですが、「御相談所」って書いてあると、つい「ちょっと今困ってることがありまして……」などと、切り出してしまいそうになりませんか。
「大化の改新の秘策を練られた場所」という説明が書かれています。筆者は、この看板通り「大化の改新」と習ったムカシノヒトなんですが、今の子どもたちは「乙巳の変」と教わるそうですね……。
密談場所の隣は異変で破裂する山?
さて、いったん下って、すぐ北側にあるもう一山へ。何やら不穏な山名の山です。標高607mの「御破裂山(ごはれつやま)」は、古来、国に変事が起きるときには鳴動して知らせるといういい伝えがあり、『大織冠(たいしょっかん)神像破裂記』という書物によると、昌泰元(898)年2月7日、突然山が鳴動し、木造の鎌足像の首が破裂したとか。山頂は鎌足の墓所とされています。
この日の御破裂山はとても静かで、異変はなさそうでした。ここからは、尾根通しに西へ進みます。下り基調ののどかなトレイルで、しばらく進むと「万葉展望台」というビュースポットへ。
北西側に眺望が開けていて、奈良盆地の一部が見えています。西側には大阪府との県境をなす山々、北側には大和三山が見えます。
展望台からさらに西へ、飛鳥の里へと下っていきます。樹林の中のトレイルは、すれ違う人もほとんどなく、道の脇に石仏が佇んでいるだけ……。
奈良も有名観光地は外国人旅行者で大賑わいですが、さすがにこのあたりは誰もいなくて静かでした。