播州地方は、瀬戸内式気候のエリアで、秋から冬、早春頃にかけては晴天率が高く、比較的温暖です。海に近い地域では、標高は低くても海を見下ろす絶景が楽しめる山が点在しています。そんな中から、10月には「灘のけんか祭り」の舞台となる白浜の宮の裏山へ行ってきました。
「妻鹿(めが)」駅からすぐ北側、「播磨五川」のひとつ、市川の上流側にこんもりとした姿を見せているのが「甲山」です。
「かぶとやま」と読みたくなるのですが、「こうやま」です。「功山」「国府山」という字を当てることもあります。まさに甲を伏せたような形をしているのですが、じつはここにはかつて黒田官兵衛ゆかりの山城がありました。
秀吉に姫路城を譲った黒田官兵衛が移り住んだ城
三木攻めで別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は、三木城を居城として入ったのですが、参謀であった黒田官兵衛が、三木城は戦略的に不備があると進言。自らの居城であった姫路城を秀吉に譲って、移ってきたのがこの山にあった城なのだといいます。
このあたりは古くから人の往来が多かったようで、川沿いの路には昔の道標が建っていました。「右 おくやま ごちゃく」と書かれています。
甲山の南側の麓に小さな神社があり、その脇が登山口になっています。
甲山にあった城には、「妻鹿城」「功山城」「国府山城」「袴垂城」など、いろいろな別称があったそうです。
今は人の気配もほとんどなく、うっそうとした樹林に覆われた山ですが、大手門や天守、本丸、二の丸などを備えたなかなかの規模の城だったみたい。なんたって、軍師官兵衛ゆかりの城ですもんね。
標高98mというきわめてコンパクトな山なのですが、さすがに斜面は急峻。南側から登るルートには、けっこうな岩場もあります。
傾斜が強いので、ほんのわずかの登りで展望が開けます。足元には市川のゆったりとした流れが見下ろせます。西国へ向かう街道や、播磨灘を行く海運ルートも一望できる立地で、遠くに、瀬戸内海の海賊が拠点としていた小豆島も遠望できます。
急な斜面を登りきると、次第になだらかになって、やがて山頂部へ。遠目には小さな山に見えましたが、山頂部は意外と広くて、廓の跡などが点在しています。教育委員会が立てた案内看板がところどころに設置され、周遊できるように小径が整備されています。