日本国内には1万6667もの山があり、登山好きにとっては「次はどの山に登ろうか」と贅沢な悩みが尽きません。そんな時に参考になるのが、アウトドア好きの間では有名な「日本百名山」。しかし、いったい誰がどういった基準で100の山を選んだのでしょうか。
山を愛した深田久弥さんの独断で決められていた!
実は「日本百名山」は、団体や機関が定めたものではありません。「百名山」のもとになったのは、登山家・文筆家の深田久弥さんの著書『日本百名山』。北海道から屋久島まで、深田さんが実際に登った山の中から、品格(厳しさ・強さや美しさ)・歴史(昔から人と深い関わりを持っている)・個性(その山だけが備えている独自のもの)を考慮し、さらに標高1500メートル以上という基準をクリアした山が選ばれました。同書は簡潔に書かれた正確な情報や、山の存在感を感じられる文章が登山家からも絶賛されています。
深田さんは石川県に生まれ、11歳の時に富士写ヶ岳で初登山を達成しました。23歳の時に東京帝大哲学科に入学しましたが中退。その後1930年に小説『オロッコの娘』で文壇に認められ、文筆家生活をスタートさせます。戦後は山岳紀行やヒマラヤ研究を精力的におこない、1971年68歳の時、茅ヶ岳登山中に脳卒中で亡くなりました。
「日本二百名山」より「日本三百名山」の方が先に決められた!?
「日本百名山」よりも対象を広げた、「日本二百名山」「日本三百名山」というくくりも存在します。実は「三百名山」の方が先に制定されており、日本山岳会が「日本百名山」に200の山を追加したのが1978年のこと。そしてその後1984年には、深田さんの意志を継ぐ「深田クラブ」が「日本二百名山」を選定しています。
この「日本二百名山」は、深田さんが『日本百名山』に入れるかどうか迷って記載しなかった山々を追加したもの。深田クラブの会員が「日本百名山」を完登した後の目標づくりを目的に作ったのですが、追加の100山を選ぶのは困難を極めたそう。日本山岳会が「三百名山」を先に発表したことや、深田クラブの創立10周年などが後押しになり、ようやく1984年に「二百名山」が選定されました。