神々が鎮まる特別な地であり、日本の宗教の原点とも言える紀伊山地には、熊野三山、高野山、吉野・大峯の三つの霊場があり、それを結んでいるのが熊野古道。『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産登録されています。
道として世界遺産に登録されているのは、スペインとフランスにまたがる『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』と、熊野古道の二つだけ。
筆者は、熊野古道が大好きで、度々訪れているのですが、暑い季節は高野山がベストだと思っています。山上の標高は約1000m、深い森に囲まれているため、都市部と比べると10℃くらい涼しくて快適です。というワケで、梅雨のさなかに「町石道」を歩いてきました。
弘法大師が月に九度通ったとされる道
「九度山」と言えば、関ケ原の合戦後に真田幸村が蟄居していた地として知られていますが、地名の由来は弘法大師にあります。高野山を開いた弘法大師の母が、山麓の「慈尊院」というお寺に住んでいて、母思いの大師が月に9回も慈尊院まで通ってきたということから九度山という地名がついたとされています。
さて、歩きのスタートは南海高野線九度山駅。駅のホームに、「おむすびスタンドくど」というお店があります。
店内に〝くど〟(かまど)が据えられ、羽釜で炊き上げた地元・橋本産のお米と、和歌山県産の食材にこだわった、とても美味しいおむすびが売られています。
テイクアウトして行動食に、と思っていたのですが、炊き立てのあったかい状態で食べたいよなぁと思い、イートインしていくことに。最近人気が高すぎて、一人4個までの制限ができてました。だったら、2個食べて2個持って行こう。
炊き立てごはんをふんわりと結んであって、具材もいろいろ。腹ごしらえをしっかりして、いよいよ歩きはじめます。
しばらくは街中の道で、慈尊院というお寺が実質的な登山口。ちょうどアジサイがきれいでした。
このお寺は、「女人高野」とも呼ばれ、高野山が女人禁制だった頃に女性たちがお参りにきたところ。高野山参詣の要所であるこの地に、弘法大師が表玄関として伽藍を草創したのが始まりとされています。
慈尊院からは急な石段となり、途中に町石の「180番」があります。山上の1番まで180町……(途方もない)。石段の上は丹生官省符神社で、ちょうど夏越の祓いの時期で、茅の輪が設置されていました。
ふと見ると、道端の葉っぱに可愛らしいカタツムリ。最近あまり見かけないような……?
丹生官省符神社の裏手へ出て、柿畑や竹林の中を登っていくと、やがて展望スポット。
眼下に広がる大きな川は、和歌山を代表する「紀ノ川」です。源流は奈良県で、県境を越えるまでは「吉野川」と呼ばれています。この川の周囲も果物畑で、この地の名産である柿やみかんの樹がたくさん植えられています。高級品として知られる「あらかわの桃」もこの下流で作られています。
町石を数えながら歩く
町石とは、弘法大師がこの道沿いに建てた卒塔婆(そとうば)に由来すると言われています。五輪塔の形をしたかなり大きな石柱で、根本大塔(こんぽんだいとう)を起点とした距離を示す数字と、仏尊を表す梵字が刻まれています。一町は、約109mなので、わりとすぐに次の町石が現れます。
丈夫そうな石塔も年月が経つうちに壊れることがあるようで、修復の跡のあるものもあれば、新しく作り直したのか、いろんな時代のものが混在しています。比較的新しいものは数字が読めるのですが、古い時代のものと思われる草書体などは読めないものも……。
森の中をしばらく進み、147町を過ぎたあたりの道の脇に石仏が佇んでいました。
祀られているのは、弘法大師空海。この石像を拝むと「遠く御廟(ごびょう)を望む」と言われているそうです。また、昔は毎年旧暦3月21日(空海入定の日)には、地元の村の有志たちが高野詣の参拝者におむすびや湯茶をふるまったそうで、ここは「接待場」と呼ばれています。