かつての昭和の時代に高畑山には仙人と呼ばれた人物が実在していたそうです。昭和の登山ブームでは仙人会いたさに、高畑山に多くの登山者が足を運んだと言われています。観光協会発行のPDF版登山パンフレットにも、当時の仙人の画像が掲載されているほどにスタンダードな存在です。今では静かな沢音を耳にしながらの秀麗富士山と出会う山行になります。
古より不死の峯として伝えられてきた山に住んだ仙人
高畑山は古くは江戸時代のこの地方の地誌である甲斐国誌において「不死の峯」と記されていたそうです。霊験あらたかな山として伝えられてきたようですね。それが高畑山と呼ばれたのは近代に入ってからのことのようです。不死の峯と呼ばれていたことを知ってかしらずか、昭和の時代には仙人が住んでいました。
実際には県内の方が、生活用具数点ばかり持ち込んで勝手に住んでいたようなのですが、朴訥、温厚な人柄で地元の方々に受け入れられ、また登山者とも交流し、時とともに仙人と呼ばれるように至ったようです。登山道上には公式の表示板ではありませんが、手書きの「仙人小屋跡地」の表示板が立っています。