樹齢千年の矢立の杉は樹高約28m、根周り14.8m、幹囲9mの巨木で、幹は地上約41.5mで破損し、中は空洞となっているそうです。樹齢千年は鎌倉時代に遡ることになります。武士が活躍を始めた時代に、武功を祈願して矢を放ったことから矢立の由来が始まったと言います。笹子雁ヶ腹摺山の山行の際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
岩殿山から進軍の武田軍が必勝祈願の矢を放った謂れ
矢立の杉が立つ旧甲州街道は、遡ること徳川家康の命により整備された五街道の一つとして人と物の流通を司ってきましたが、それより以前の戦国時代から武士たちの往来に利用されていました。時は甲斐武田氏、信玄・勝頼の治世となります。甲斐武田軍の武蔵国への遠征に利用した間道として。時の武将が小山田信茂と言われています。小山田信茂といえば岩殿山城の守将です。
その小山田隊が合戦に赴く際に必勝を祈願してこの大木の杉の木に矢を放った故事から矢立の杉の名が伝えられたそうです。
その後慶長7年(1602年)に甲州街道の甲府〜江戸感が開通し、1615年には下諏訪まで街道が延長されたと記録に残っています。同時に甲州街道には多くの宿場町が誕生し、街道は賑わいを見せ現在でも大月市内だけで12の宿場の名が残っています。