あるはずの湯船や看板がなくなっていることも
岩手県湯田町。奥羽山脈のど真ん中で1972(昭和47)年まで操業していた鷲合森鉱山。旧宿舎の浴槽だけが残っているというのが「見立の湯」。林道の途中に「見立の湯」と書かれた立派な看板が立っており、そこから山道を徒歩15~20分で行けるハズだった。
しかし、その看板がどんなに探しても見当たらない。既に撤去されていたらしい。林道からそれらしき場所から山に入り探索する。そんなことを数回繰り返したが、山道は一向に見つかることはなかった。
栃木県の西沢金山は、大正時代の最盛期には1300人が暮らす鉱山町だったそうだが、1939(昭和14)年に閉山。地図上ではこの跡地に温泉マークがあり、20世紀にはコンクリートの湯船に入湯できたらしい。しかも林道から100mほど。
沢を流れる水の色は温泉成分で変色して赤茶けており、温泉がありそうなその周辺を隈なく探しまくった。僅かに温泉がしみ出しているような場所は何カ所かあったが、十分な湧出は谷沿いには見つからない。
周辺の山中にも入り込んで探索すると、70cm四方くらいのコンクリートの囲いは発見したが温泉の湯船ではなかった。
このように、あると思っていたのに無くなっていた、なんてことが起こるのも野湯の恐ろしいところだ。北海道、然別峡の野湯群を巡った際、ダム下の湯やメノコの湯、崖下の湯やペニチカの湯などを次々に発見し、入湯した。
その勢いでユウヤンベツ川の下流にあるピラの湯を探索するが、あったのは、崖から湧出し川底の岩盤に流れ込む源泉だけ。昔の写真ではあきらかにこの岩盤の上に湯船があったのだが、増水などで流されてしまったようだった。
別の沢にあるテムジンの湯も探索した。シイシカリベツ川の急な山肌斜面を降りると河原には石と岩で囲われた湯船があるハズだった。しかしここも増水で湯船は流されて、源泉は川底に沈んでおり、とても湯船を作れる状況ではなかった。
それでも野湯の到達率は95%以上!
私はこれまでに100回以上の野湯探索を行っているが、辿り着けなかったのは、この記事で触れた上記のみ。おそらく95%以上は入湯できているはずだ。
実は、「御宝前の湯」と「たつ子の湯」には、改めて再チャレンジして無事入湯している。特に「たつ子の湯」はお気に入り野湯のひとつで、これまでに雪の中で3回とグリーンシーズンにも訪問して入湯している。それらの詳細なレポートは、拙著『命知らずの湯』をご参照いただければ幸いだ。
【データ】
■御宝前の湯
栃木県那須郡那須町湯本■たつ子の湯
秋田県仙北市田沢湖生保内■見立の湯
岩手県西和賀町
【プロフィール】
瀬戸圭祐(せと・けいすけ)
アウトドアアドバイザー、野湯マニア。NPO法人・自転車活用推進研究会理事。自動車メーカー勤務の傍ら、自転車・アウトドア関連の連載、講座などを数多く行っている。著書に、全国各地の野湯を訪ね歩いた冒険譚『命知らずの湯』(三才ブックス)、『快適自転車ライフ宣言』(三栄)、『雪上ハイキングスノーシューの楽しみ方』(JTBパブリッシング)などがある。2024年5月現在、足を運んだ野湯はトータルで約110湯。