アウトドアシーンでは「現場」で色々なことが起こります。だからこそ、知識を得てから出かけることは役に立つし、何より楽しい。フィールドから帰ってきて復習するもまた良し。この連載では、そんな場面で活躍する本を古今東西問わずに取り上げます。
今回は、登山者の安全を守り、登山文化を盛り立ててきた歴史ある山小屋の誕生物語。槍ヶ岳-穂高連峰の重要ポイントにある北穂小屋を建てた小山義治さんの手記で、1961年に発行された古い書籍を、ヤマケイ文庫として2022年によみがえらせた一冊です。
今と違って重機もヘリも使えなかった時代。人力で資材のすべてを険しい山頂まで運び上げ、苦心の末に山小屋を建てるまでの壮絶な奮闘記は、「あって当たり前」と思われている山小屋の存在意義について、改めて深く考えさせてくれる一冊です。
個人的に、北穂小屋は大好きな山小屋です。北には槍ヶ岳が間近にそそり立ち、南には前穂北尾根の鋭鋒がカッコいいスカイラインを刻んでいます。東は蝶ヶ岳から常念岳への優美な山容、西には笠ヶ岳の雄姿が望めます。ロケーションが素晴らしいうえに、居心地がよく、食事が美味しいのも大きな魅力。前回訪れてからもはや10年ほど経つのですが、本書を読み返して、また行きたい思いを新たにしています。
初版発行の1961年頃の世の中とは…
時代の雰囲気がわかる序文を少し引用してみます。
故郷を去る
あのいまわしい大戦が、いつの間にか「聖戦」の名にすり替えられて、戦争に勝つためにはどんな手段をも選ばす、一億総戦力のひとこまにすぎなかった多くの人々は、ほとんど自己を喪失して個人的な理想とか抱負、まして自由など求める術はなかった。
その頃、私は、「聖戦」に懐疑的で、戦争にともなう一切の恐怖におびえながら、憑かれたように穂高に登った。山を愛することは熾烈な戦争の中で、私に許されたたった一つの自由だった。
そして、通いつめた北穂高滝谷のとりこになり、その頂上へ山小屋を建てる希いを持った。それは単なる戦争からの逃避ばかりではなく、自由な意思による創造への努力に生きることの他に、私の心を支える何物もなかったからであった。
兵隊として戦地へ送られることを怖れつつ、命がけの登攀にのめり込む若者。意義のわからない戦争に巻き込まれて、殺し殺されるくらいなら、好きな山へ……。多くの若者が「お国のため」を疑わず、画一的な価値観一色に染まっていった時代に、著者は深く物事を考える青年だったのだろうと思います。
評者の手元には、初版から13年後に発行された五刷があります。早逝した山友の形見分けにもらったものですが、今回、ヤマケイ文庫として甦ったものを再読してみて、あらためて著者の〝山〟に対する考え方に共感できる部分が多いなと感じました。
著者は、「山登りにおいては、どのようなルートから頂上に登ってもさしつかえのない自由があり、妙味がある」(P132)と書いています。重要なことは、他者の、あるいは世間の評価ではなく、そこに感動があるかどうか。著者がご存命のうちに会うことができたら、そんなお話をしてみたかったです。