「地図から消された島」に残る毒ガスの歴史
いまや、うさぎの楽園と化した大久野島ですが、じつは戦時中の1929年から1945年まで、太平洋戦争で使用するための毒ガスが秘密裏に製造されていたという歴史があります。
一般人の立ち入りが禁じられた大久野島は、一部の軍人のみが知る場所に。毒ガス製造は世界的にも禁止されていたので、その事実を隠すべく、大久野島は地図からも消されていました。
毒ガス資料館では、毒ガス製造の資料を展示し、多くの被害者を出した悲惨な事実を伝えています。
大久野島には現在も、旧日本軍の建物であった「火薬庫の廃墟」や「砲台跡」などの跡地が随所に点在しています。
写真は島の西側にある「発電場跡」。大規模な廃墟には緑の蔦が這っていて、独特な雰囲気を醸し出しています。ここでは女子動員学徒が風船爆弾の満球テストを行っていたようです。
戦時中の跡地は島の北部に多く、その周辺はシダ類がびっしり生い茂る深い森となっています。いずれも歴史的価値のある建造物ばかりなので、島内の遺跡をめぐり、大久野島の歴史を探訪してみるのもよいのではないでしょうか。
もちろん、遺跡周辺にもうさぎはたくさん。人の足音が聞こえると、茂みの中からひょこっと顔を出してきます。
大久野島で幸せそうに暮らすうさぎたち。しかし、この楽園にもうさぎの天敵となるイノシシやトンビたちがいます。
観光客がエサやゴミなどをそのままにしてしまうと、うさぎが食べすぎて体調を崩してしまったり、天敵となる生き物がそれを食べたりしてうさぎの数が減ってしまいます。
うさぎたちを守るためにも、帰る際は、持ってきたものをしっかりと持ち帰るようにしましょう。
瀬戸内海に浮かぶうさぎの楽園、大久野島は見どころたっぷり。
ぴょんぴょんと近づいてくるかわいいうさぎと戯れたり、のどかな自然に癒やされたり、遺跡巡りをして歴史探訪をしたり……多彩な楽しみ方ができます。
ラビットアイランドでしかできない特別な体験をしに、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
■大久野島
■住所:広島県竹原市忠海町大久野島